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こんにちは!毎度BCCで失礼いたします。Maki from NYCです。お察しの通り、今日は9.11一周年についてです。今回も長いです。お急ぎの方は後ほどゆっくりどうぞ。
先日の9月11日は同時多発テロからちょうど1年、ということで、ニューヨーク中が、いや全米が、独特の緊張感に包まれていたようですね。ここニューヨークや首都ワシントンDCでは、一周年を機に新たなテロが起こるのではないかとの情報が流れ、前日には国家安全保障局の発表する警戒レベルが黄色からオレンジに引き上げられました(ちなみにオレンジは全5段階中赤に次いで2番目に危険な状態。「非常にテロ攻撃の危険が高い」ことを示します)が、幸い心配されていたような事は何も起こらず、私も家人も2匹の猫もまったく無事でした。友人たちもほとんどは普通に会社に行って、いつも通りに過ごしたようです。もちろん、それぞれに「あの日」の思い出とその後の世界に対する複雑な思いを抱えつつ、ですが…。
当日の朝グラウンド・ゼロで行われた大規模な追悼セレモニーには、遺族のほかブッシュ大統領や小泉さんはじめ世界各国の首脳が集まりました。テレビやラジオでも大々的に放送されたので、きっと皆さんもご覧になったことでしょう。でも、同じ頃、グラウンド・ゼロからわずか数km北のユニオン・スクエア公園で、「テロとの戦い」にかこつけた新たな軍事介入に反対する集会が開かれていたことは、残念ながらほとんどメディアで取り上げられませんでした。ましてや、前日の夜にワシントン・スクエア公園で開かれた徹夜の追悼・平和集会が、警察の介入で途中解散を余儀なくされたことなどは、私の知る限りインターネット上のごくごくマイナーなメディアでしか報道されませんでした。で、今日は、その両方にたまたま足を運んでいた者として、レポートさせていただきたいと思います。
私が自転車でワシントンスクエアの「All-Night Candlelight VIGIL(徹夜のキャンドルライト追悼集会)」に着いたのは9月10日の夜10時頃。すでに縁日のような賑わいで(後ほど読んだニュースでは2,000人の人出だったとか)、フォークソングを歌う若者、チラシや旗を配る人、キャンドルを手にただ抱き合う人々、黒装束に身を包んだ未亡人のグループ、キャンバスに絵やメッセージを書く人、コーランを読みあげるイスラム指導者、弦楽奏を奏でるミニ・オーケストラ、メッセージTシャツを売る人、癒し系マッサージのボランティア、民族舞踊を踊る人々、牛乳パックで作った灯籠を配る日本人ボランティア、お経をあげる袈裟姿のお坊さんたち、そしてその他大勢の、何らかのかたちで追悼の意を表したくてやって来た人々でごった返していました。ほどなくして到着したマーティン・ルーサー・キングJr牧師の息子(キリスト教の指導者らしい)がスピーチを終える頃には、TVクルーや警官隊も目立つようになり、公園内の熱気はピークに達していました。
けれども、私がもっとも興味をひかれたのは、イラクほか「悪の枢軸」と名指しされた国々や、アフガニスタン、フィリピン、パレスチナなど9.11をきっかけに(主にアメリカによって)戦火にさらされた国の人々へ送る、寄せ書きキャンバスのコーナーでした。日頃ニュースや新聞で発表される統計では、誰がどう見たってアメリカ人のほとんどが一連の対テロ戦争を支持しているように見えますが、たとえばイラクの人々に送るキャンバスに書かれていたメッセージの多くは、「アメリカ=ブッシュじゃない!」「イラク攻撃を反対している人が大勢いることを知ってほしい」といったメッセージであり、アフガニスタンへ送るキャンバスには、胸がつまるほどたくさんの「アイ・アム・ソーリー」「私たちを許して」というメッセージが書かれていました。私はふと、去年の9月、同じこのワシントン・スクエア公園で、でかでかと書かれた「戦争をお見舞いしてやれ!」というメッセージに我慢がならず、「ダメ!もう1人も死んではいけない!」と書き添えたことを思い出し、「ああ、1年経ったんだなあ」「1年、かかるんだなあ」と、時の流れを感じたのでした。アメリカも、アメリカ人も、ゆっくりと変わりつつあるのでしょう。
とはいえ、この夜ワシントン・スクエアに集まった人々は、アメリカ全体から見ればやっぱり、絶対的にマイノリティなのでしょうね。私は深夜12時頃にその場を離れましたが、朝7時まで続くはずだったこの平和集会は、その後まもなく警察の介入で強制解散となり、最後まで太鼓を叩いていた若い女性は逮捕されたそうです。
さて、明けて9月11日。万一の事態に備えたグッズ一式(パスポート、現金、マスク、ゴーグル、懐中電灯、万能ツールなど)をバックパックに詰め込み、寝不足の目をこすりつつ徒歩でユニオン・スクエア公園へ。昨日のワシントン・スクエアではやじうまでしたが、今日の「New
Yorkers Say No to War/MOURNING(戦争にNOと言うニューヨーカーの追悼集会)」では私も参加者です。事前にインターネットで入手した情報によると、1機めのハイジャック機がWTCに衝突した朝8時46分からWTCが崩落した10時29分までの約2時間、公園の一角で静かに目をつむって横たわり、同時多発テロとその後の対テロ戦争で命を失ったすべての人々に思いを馳せる、というもの。言葉を発さない代わり、全員が「9.11.01 New
Yorkers Say No to War」と書かれたTシャツを着用します(結局400枚刷ったTシャツでは足りなくて、同じデザインのステッカーを貼り付けて参加した人も多数いました)。
昨夜のワシントン・スクエアの集会で逮捕者が出たこともあって、主催者グループはとにかく10時29分まで警察に介入されることなく進行できるよう、「8時46分になったらすぐにその場で横になって」「黙とう中は静かに」「道路にはみ出ないように」「この一角以外で横になるなと言われているので、場所がなかったら近くのベンチに座って」などといろいろ気を遣っていたようです。そしていよいよ8時46分。できるだけたくさんの人が横たわれるよう、お隣りさんとくっつくようにして仰向けになります。視界にはあの日と同じ、しみ入るように青い空。Wホテルの屋上で半旗になった星条旗がはためいています。ゆっくりと目を閉じると、周囲からかすかな息の音。数km先のグラウンド・ゼロでも国をあげての追悼が始まっていましたが、私は、あそこではなくここに居られて良かった、と感じていました。「ゴッド・ブレス・アメリカ」も「アメリカ・ビューティフル」も聞こえてこない、行き交う車と、会社や学校へ急ぐ人々の足音と、仲間たちの息の音だけが聞こえるこの場所こそ、同時多発テロの犠牲者たち、空爆で命を落としたアフガン人、自爆テロの巻き添えになったイスラエル人、戦車で踏みつぶされたパレスチナ人、大量窒息死させられたタリバン兵、その他すべての犠牲者に思いを馳せ、これからのことを考えるのにふさわしい場所に思えました。固くて冷たいコンクリート・タイルの上での約2時間、いろいろな思いが頭をよぎりました(情けなや、メインテーマは「トイレ行っとくんだった…」です)が、その時感じた、9.11から1年めのこの日、この時間に、いるべき場所にいられた充足感はその後もずっと続いていて、これからの自分に新たな勇気を与えてくれたような気がします。翌日、私は1人でニューヨーク市のゴミ問題対策委員会のミーティングに出かけて行きました。
Peace, Always.
Maki
ワシントン・スクエアでの追悼・平和集会(英語)とその後(英語)
http://www.peacefultomorrows.org/pressreleases/index.shtml
http://www.nyc.indymedia.org/front.php3?article_id=31595&group=webcast
ユニオン・スクエアでの追悼・反戦集会
http://www.nysaynotowar.org/modules.php?op=modload&name=PostCalendar&file=index&type=view&eid=103
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