3歳。オナラしたの誰、ときけば、「雨。」と答えるようになりました。
ああ今朝はたしかに雨降ってるんだなあと体を起こして、横に待機している水のボトルをごくごくやると、「お母さん遊ぶ?」「もうちょっと寝てたいなー」「遊ぶ?」「むむむ」未練がましく枕に目をやると、あれに見えるはかわいそうな私の抜け毛たちではないか。こんなに抜けちゃって・・・「かわいそうに」とつぶやけば、「かわいそう?」とすでに泣きそうな顔した、多感な3歳がきいてくるではないか。おっとっと、彼は「かわいそう」と「トイザラス」には敏感であった。
そう多感。いや、機嫌が悪いだけか。
先日は、弁当箱に自分の足を入れて歩けないというので大泣きしたし、気に入ってるテレビのコマーシャル(リムジンサービス、「タアークスィー!!!」666−6666でおなじみのCARMELですが)が、思いついたその時に見れないと知った際にも随分泣きました。
機嫌が悪いで片付けたらいけないかもしれない。弁当箱が履けたらどんなに楽しいか、今あのコマーシャルを見れたらどんなに楽しいか、いい考えを発見して最高の気分だったかもしれない。それなのに足が弁当箱に入らない、ああ壁にぶち当たって、自暴自棄になりたくもなるさ。
だから、多感も機嫌悪いも違う、人間をやってたら毎日突き当たる、「壁」にごっちんごっちんと頭をぶつけているので、彼も頭にきてるのだ。
私だって、疲れてる時ほど、精神的にも物理的にも、振り向きざまに壁やらものの
角やら人やらにぶつかる率が高まるじゃないの。
ただ、怒って激しく泣き続けていても、「トイレに入った」とか、そういう風の向きが変わった時に、今までなんにもなかったかのように鼻歌まじりでブロック遊びに興じたりする、あれには私もいまだに慣れず、ひとりおいてけぼりをくらわされるのです。泣かれてる間、こちらも神経をすり減らしているのですから。
ああ、そこで思い出すのは子供のころの自分、だいぶ泣きましたよ、私、自分で覚えてるくらい。返ってきちゃったか。
もちろん、その反動で激しく泣きたくなるほど、息子の思いつくことは楽しく、そんな時は親もたいへん楽しませてもらってます(そりゃあ親バカ効果もありますから)。
「わたし、大福レストランやりたいの。」「大福のレストランかー。で、お店の名前
なんにするの?」「おさかな。」 |