よく話すようになった。これだけ喋りたいことがあるということは、今までよほど「伝えたくても伝えられないじれったさ」を味わっていたんじゃないかと、つい考えてしまうのをなんとかと言うのでしょうか。しかし、たとえ5か国語、10か国語を話せるようになったとしても、疲れていて頭が回らないとか、きっと状況次第というもので、そのじれったさは付いてまわる。私も毎日、日本でも他の国でも関係なく、じれったいをせっせと捻出しています。
「たまご」と言いたくて、「たんがも」と言うのです。「たんがも?」と言われても、はてさて、はてさて・・・・目を左右にきょろきょろさせて、子供の身振り手振り、観ていたテレビや本などあらゆる記憶た情報を頭の中でフル回転させ、掘り返し、照らし合わせ、もう一度耳をそばだてて、やっとやっと何かが符合した時の安堵感。「あ!たまご!?」「たんがも!(にこにこー)」何度かエラーが続くと怒り出し、半日めちゃくちゃになったこともありました。「たまご TA MA GO」「たんがも TA n GA MO」。MとGの位置が置きかえられて、たまごはたんがもになっています。
こういうトリックはままあって、「大丈夫?」ときくと、「だいぶじょ。」と答えますし、「ごちそうさま」と「おしまい」がどこかで混同していて、ごはんの終わりには「ごーましたい」と言い、本の終わりには「おーましたい」と言います。
私の子育ての楽しみ(救いの部分)は、ひょいと山菜が群生しているのを見つけたときのように、あてにしてないところに日々新しい発見があることですが、今日のはですね、長い単語が3つ続けて口から出てきたことでした。「・・・メンバ?(remember?)train say Disgraceful!Disgusting!Dispicable!」まだこの子が何も話せなかった頃に、せがまれて何度も繰り返し読んであげたトーマスのお話の一場面からで、今頃ひょいとそれが土から頭を出したとは、驚きました。
気に止めるとは思わず口にした言葉を、「お婆さんの地獄耳」のように意外とわかっていて驚くことがあります。公園でおもらしをしたので服を脱がせて、「これこうしてビニール袋に入れて持ち帰って、洗う頃にはしっかりと匂いがついてて、これがしぶといんだよねー」などとお父さんの方向に向けてボソボソと言うと、息子はその半ズボンを手にとって走り、スプリンクラーの水でできた水溜まりに入れると、シャカシャカシャカ・・。「あれ、何してんのかな。」「・・・洗ってる。」
ここのところ毎日、トーマスのストーリーを一所懸命にします。細部にも注意して、どこが面白かったのかを、たどたどしいとはいえ熱心に話しているその内容を、補助の意味もあって反復しながらあいづちを打っていくと、「そうだそうだ」とばかりに座は大いに盛り上がるのです。しかし何の単語を言っているのか判別できなくて、話していることの意味が全くわからないことも少なくありません。適当に返したりすればすぐに見抜かれて、それはそれは透明なクリスタルクリアの「疑い」のまなざしをまともに受けてしまいます。これはぐさっと刺さります。正直にわからないと言えば怒るというパターンに慣れてしまった頃、その「わからない、ごめんね」を、ついバカバカ調子で言ったところ、これが大ウケしてくれました。「なんだ、これでいいのか。」と、ここでまた安堵。
恐るべき2歳児は、藻が茂って見えにくく、もがいて進まなければならない湖のようですが、時に突然見える水底から、その透明度の高いことを知らされて、感動するというような、魅力的なものなのだと、また感動。しかし感動してると「いす。」とか言って、まるだしのおしりで顔の上に座られてしまうので油断ができません。ストーリーを語っていないときは、「おしーりぺんぺん」と歌っているのです。
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